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【江戸中期】 宝永大噴火が籠坂峠を造った
1707年富士山の宝永大噴火が起こり、大量の火山礫の堆積で、それまで絶壁だった
ところも、通れるようになって、はじめて籠坂峠が誕生しました。それまでは、三国峠から
小山町方面に下りるしかありませんでした。
上記が怪しくなりました?? 歴史時代を通じて、いつでも籠坂峠(加古坂峠)が
存在していたという本ばかりです。確定情報を発見次第、上記を修正します。
新田次郎 『怒る富士』 には、その後の苦労話があれこれ出てきますが、なにしろ田畑が
まったく使えない。降り積もった小岩や焼け砂を取り除くのに、36年もかかった、という話
に、びっくりでした。
近藤義正・氏のサイト <M46 富士宝永噴火と災害復旧> から堆積量を引用すると、
小山町 1.5m 〜 3m
山北町 60cm 〜 70cm、
藤沢市 20cm 〜 30cm
このとき幕府は、全国から対策費40万両を集めて、16万両だけを災害対策に使い、
残りは、通常経費の補填にしたそうで、今回の東北大地震の復興予算があれこれ他に
流用されているのを、思い出しました。